叔父のお通夜の日なのだが、長野県の信濃大町に出張。私以外にこれを担当できる
人間がいないのだ。

 朝5時に会社を出て、中央道〜長野道で豊科ICへ。更に北上し、信濃大町爺ヶ岳ふもと
の山林へ。ここで地元の土地改良区主催による親水イベントの取材。これまで直接的な受益者
である農業者によって管理されてきた農業用水も、農家の高齢化および周囲の混住化の進行など
によって、充分な管理が行き届かなくなっている。
 そこで、非農家住民にも管理作業に参加してもらおう、と相成る。その場合の根拠は所謂
農業農村の持つ多面的機能の受益者は農業者のみに限らないという、良く聞く理論なのです。
しかしまあ、いきなり草刈りに参加せよ!などと言うワケにも行かないので、まずは「ニジマス
イワナのつかみ取り」でもってファミリーに楽しんでもらい、そこから農業用水への理解を深め
て貰おうと。

 さて信濃大町は私にとってとても思い出深い地域だ。小学生の時分、夏の家族旅行の行く先
は、いつもこのあたりだったんである。正確には、信濃大町から大糸線で5駅下った「簗場
である。
 青木湖、中綱湖、木崎湖からなる仁科三湖。その真ん中に位置する中綱湖は、貸しボート小屋
が一軒あるだけの小さな湖で、周囲は昔ながらの日本の農村だったような気がする。

 簗場駅を降りて改札を出ると、大糸線と平行して走る国道があり、駅前には「しゃくなげ荘」
という土産物屋があった。その脇の道を下ってゆくと、中綱湖かかる橋に行き当たる。この橋は
確か木造橋で、自動車のタイヤが当たる部分は一段高くなっていた筈。

 橋を渡って歩き続けると、「山木館」など数軒の宿があり、やがて道はT字路に突き当たる。
ここを左手に曲がり、すぐさま右にまがる。鬱蒼とした木々に囲まれた神社を横目に見ながら、
更に進むと、定宿である「民宿おおやけ」に至る。ここまでの道はすべて未舗装の砂利道だ。

 簗場および「民宿おおやけ」あたりで、子供時代の私や兄弟は何をしていたか?記憶は定か
ではないのだが、思いつくままに書くと、

・「民宿おおやけ」前の用水路で水遊び
 よくあるコンクリートのU字型水路であった筈だが、ここに板を渡して水位を変えたり、スイカ
や缶ジュースを冷やすための淀みを作ったりした。水はしばらく手を浸しているとズキズキ傷むほど
の冷たさだった。

・カイコを見に行く
 近くに養蚕農家があったので、カイコを見に行った。暗いハウスの中は、幼虫が桑の葉を食べる
「ザワザワ」という音で満ちていた筈。

・中綱湖で釣り
 田んぼの畦のような道を辿り、中綱湖の西岸側にある小さな桟橋に至る。そこで父親が釣りをして
いた。赤い練りエサはコマセのような匂いだったかな。父親が、何故か近くの石灯籠をぶっ倒したような
記憶があるのだが、なんでだろ?

・中綱湖でボート遊び
 中綱湖唯一の娯楽施設、それが貸しボートである。通常のボートと足漕ぎ式ボートがあった。
私は岸辺の浅い所にボートを寄せ、湖底を見るのが好きであったと思う。そういえば、「犬神家の一族
で、人間が逆さまに湖に突き刺さってるカットがあったが、あれは中綱湖で撮ったらしい。

大町山岳博物館、塩の道博物館、大町温泉郷、など。

 どこで何をしたのか?という記憶はあんまり残っていない。断片的な風景とかは沢山あるんだけどな。

 最後に行ったのは中学1年の夏(昭和58年・西暦1983年)の筈だから、既に22年も経っている。
バイクに乗っていた時に、一回くらい行っても良かったのになあ。