アルファ 2011年8月〜2021年9月21日

 

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アルファ、ブラボー、チャーリー、デルタ4兄弟の筆頭アルファ死す。いつまでも子供のように無心、また他の猫にとっては不躾で、はしゃぎすぎて叱られがちな猫だった。昨夜から急に不調となり、今朝、妻が動物病院に急遽連れていったが、そのまま不帰となった。最後の30分は治療室で妻と一緒にいられたとのこと。

 

仏教では動物の死をどう扱うのか気になったので少しだけ検索してみた。

 

https://www.nippon.com/ja/currents/d00460/

>>事の発端は、2016年9月、佛教大学で開催された浄土宗総合学術大会の席上のことであった。安達俊英・知恩院浄土宗学研究所嘱託研究員が、このように切り出した。

 

法然上人は動物のままでは、順次往生(今の生を終えた段階で、直ちに極楽浄土に往生すること)できないと考えていた」

 

分かりやすく解説すればこうだ。

そもそも浄土宗では「南無阿弥陀仏」の念仏によって往生できる、と説く。言うまでもないが、ペットは念仏を唱えることは不可能だ。そもそも、ペットは仏教では、「畜生」というカテゴリーに入れられる。「畜生界」は仏教が説く六つの世界(六道)の下から3番目の苦の世界であり、「人間界」よりも2ランクも下に位置する。したがって、飼い犬や飼い猫が往生するためには、畜生界で善い行いを積んだ上で人間に生まれ変わり、そこで念仏を唱えて初めて、往生できるというのだ。

すると、会場にいた林田康順大正大学教授が真っ向から反論した。

 

法然上人は、動物は回向によって順次往生できるとも説いている」

林田氏は、仮に畜生道に堕ちた者であっても、生きている者が読経などをして善を振り向けることで往生が可能であると説明する。

 

なぜなら、念仏を唱えられない水子や、障害を負った者が往生できないわけがないではないか。そのために日本では追善供養(回向)という考え方がある。例えば、死後の初七日、四十九日法要などである。この考え方に照らし合わせれば、仮にペットでも飼い主の回向によって、ちゃんと往生できるはずだ―というのがその主張である。

ペット往生を巡るこうした議論は現在でもなお、浄土宗内で続いており、シンポジウムや勉強会がしばしば開催されているほどだ<<

 

とのことで、往生するか否かは論者によってまちまちな模様。

 

こちらとしては、動物はそもそも生まれながらにして人間みたいな欲に起因する罪がないので、そのような無原罪生物は人間の考えた往生なんぞに拘泥しないしする義理もないと思う。だいいち、勝手に「畜生界」を人間界の2段階下に配置してるのも噴飯ものでしょう。