イノシロウは関心なさそうにうなずいて、「そうか、幸運を祈るよ」
「それだけですか?幸運を、よい旅を?」ヤチマは相手の表情を読もうとしたが、イノシロウは精神胚のように無垢な視線を返してくるばかりだった。


「なにがあったんです?自分になにをしたんです?」
イノシロウは聖人のように微笑すると、両手をさしだした。それぞれの手のひらの中央に睡蓮の花が咲き、どちらもまったく同じリファレンス・タグを放った。ヤチマはためらってから、そのにおいについていった。

 それは《アシュトン・ラバル》のライブラリに埋もれていた古い価値ソフトで、肉体人を悩ませた古代のミーム複製子から、九世紀前にコピーされたものだった。
 それが押しつけてくるのは、自己の本質と努力の無益さに関する、いわば気密封印された信念ひとそろいだ…核となる信念の弱点を浮き彫りにしてしまうあらゆるモードの論証の徹底否認こみで。標準的なツールによる分析は、そのソフトが例外なく自己確証的であることを裏付けていた。ひとたびそれを走らせた人は、心変わりは不可能になる。それを走らせてしまったら、もう逃げられない。


 ヤチマは心が麻痺していた。「そんな馬鹿なことをする人ではなかったのに。そんなことはしない強い人だったのに。」

 「ディアスポラ」初期部分で、極めて印象深かったシーン。強い意志を持った人物であるイノシロウがトカゲ座ガンマ線バーストによって引き起こされた「肉体人」への災禍を救おうとし、その過程で心に傷を負い、厭世的になって前向きな意志を自ら放棄してしまう。

 絶対に論破されない自己欺瞞・自発的ロボトミー処置といった感じなんだろうか。

 こういうの、たまに欲しくなるなあ。