全然日記を書いてなかったぞ。

この前古本屋で“吾輩は猫である”を買った。380円。

本日は野毛の図書館で“岸田吟香『呉淞日記』影印と翻刻”をパラパラ読む。実に面白いが読むのに時間がかかるから、家や榛名の山小屋で寝転がって読みたいんだが館内のみで貸出してくれない。買えば定価で8,925円もする。俺に必要なのは“翻刻”の部分だけなので(影印の部分はまったく読めないが、それが本の厚さの4/6を占める)、そこだけ抜き出して安く売ってくれないものか。

『呉淞日記』は高島俊男週刊文春に連載していた「お言葉ですが」で知った。「お言葉…」では当然ながら一部を抜粋する形で紹介されたいたが、その紹介されていた部分は『呉淞日記』の中でも特に分かりやすくおもしろい部分だったことを知る。

 もうぢきお正月だ。
 けふのやうな日は、ゆどうふに、どぜうなべかなにかうまいもので、くだらねエじようだんでもいつて、四五人集まつて、酒でも飲むほうが、からにゐるよりか、よささうだ。こゝにゐてはおもしろくねエ。早く日本へかへつて、上野へいつて格さん、とみさん達と、一盃のみたいもんだ。

日本の学者先生たちが、ほんをこしらへるに四角な字でこしらへるが、どういふりやうけんで、ほねをおつてあんなむづかしいことをした物かわからねエ、支那人に見せるにハ漢文でかいた方がよからうけれども、日本の人によませて、日本の人をりこうにする為につくるにハ、むづかしく四角な文字で、あとへひつくりかへつてよむ漢文を以て書物をつくりてハ、金をかけて版にしてもむだの事なり、労して功なしといふンだ、
おいらもなにはの東畡翁、江戸の清渓先生、洪庵先生の弟子にもなつて、しほのからいたくわんで、儒者くさいめしもたくさん吃たから、漢文のつくりかたも少しハしつてゐるけれども、書物をこしらへるにハ四角な文字ハつかはないつもりだ。
なぜといつてミなせエ、書物をつくる事ハ、ミな世の人によませて、りこうにならせるとか、おもしろがらせるとかの為にする事なり、むづかしい漢文でかいた日にハだれにでもハよめねエ、支那人か漢学者かでなけれバよめねエ、さうして見ると、学者のこしらへたほんハむだほんなり、むだでもあるまいが、支那人に日本の事をしらせたり、学者によませたりして、学者はだんだんりこうになり、またおもしろがりなどもするであらうが、世間に学者よりハしろうとの方が多イから、しろうとにハさっぱりちんぷんかんぶんなり、だからおいらハもしほんをこしらへれバ、四角なもじでハかゝない。(慶応二年十二月七日)


伊勢佐木町の古本屋でいろいろ見て、結局“北越雪譜”を買う。800円。「熊人を助く」の項を電車内で読む。