2012年6月に旧居付近で出会い、その12月から我々と一緒に暮らし始めた大雄猫アイは2017年4月26日に力尽きた。



4月に入ってから不調となり通院と投薬を重ねたが、腎機能の低下は如何ともし難く(そもそも腎臓の片一方が萎縮し機能していなかった)、食欲も徐々に無くなり臨終を迎えた。



最後の十日間くらいは、とにかく外に出たがった。昼夜を問わず玄関につながる戸を引っ掻き、オウオウと鳴いた。かなりうるさく、こちらが寝ていても起こされる程であった。



昼間、要望に応えて一緒に表に出ると水溜りの濁り水を飲みたがる。それはだめだと向きを変えると、用水路の近くに行きたがる。深さと幅が1.5mほどの三面コンクリート水路なので落ちたら危ない。そのくらいは自分でも分かっているらしく、やむなく水路沿いを歩くアイにつきあいこちらも歩く。コンクリートの上でゴロゴロしたり、草花のにおいを嗅いでみたりもするが、やはり一番気になるのは「水」のようで、屋外水栓に気を惹かれていた。なにか腎臓の病気と水への欲求に関係があるのか。



適当なところで抱え上げて家に戻すが、私や妻のいる限りは、外に出せオウオウ、と訴える。我々が二人とも仕事で家を空けていた時はどうしていたのか気になる。



他の猫たちとの関わり方も変化していった。以前は気の合う猫らと寄り添って寝ていたが、不調になってからは一人でいるようになった。他の猫たちもなにか察するものがあるのか、アイにさほど近寄らないように見えた。半目でじっとしているアイを見ていると、「硝子戸の中」か「永日小品」のどっちかで読んだ、漱石家の猫の臨終時の話を思い出した。



そんな日が続き、初期には固形のエサを少し食べていたアイはやがてペースト状のエサしか受け付けなくなった。目に見えて毛艶が衰え、体重も減り、周囲に対する態度もより億劫そうになったが、外の世界と流れる水を求める態度は強くなる一方だった。



何度目か一緒に外に出た時、アイはいつものルートから外れ うちのとなりの排水施設裏まで歩いていった。日陰の側溝には山から滲み出た冷たい雪解け水が溢れ、アスファルトの上を流れていた。
アイはそれを沢山飲んだ。このような水が飲みたかったのだと思った。



それからは、ここに水を飲みに来るのが外出の目的になった。
アイの要求に応じて、夜にも来た。足がおぼつかなくなってからは抱っこで来た。
その時にアイがじっと星を見ているように思えたので、「自然の星や雪解け水を」と書いた。



この頃、なにか神秘の力でアイが劇的に回復するような期待をしていた。



最後の日、妻は10時半出勤で21時帰宅、私は8時半出勤で18時帰宅の筈だったが、私の予定が軒並み変更になり全て14時までに済んでしまった。おかげでアイを看取ることができた。



帰るとアイは布団の上に寝ていた。
私の帰宅を知ってオウオウと鳴くがもう随分弱弱しい。
今日を越えるのは難しいと思い、一緒に過ごすことに注力する。



以下は当日夜に書いたメモ。

2017年04月26日 15:50〜 16:00。
二時くらいに帰宅し自分の昼食と猫たちの昼食。のちアイのそばにいる。一回、寝返りを打たせる。一緒に毛布をかぶって過ごす。昏睡状態からしばしば目覚め、少し鳴く。最後の40分くらい、咳き込むようなの何度か。呼吸浅い。時折前足を突っ張るように伸ばすも力ない。肛門に硬い便少しと尿も少し。拭く。まぶたなどの表情筋も力なく、指で開ければあいたまま、とじればとじたまま。もう死んだかと耳を当てると弱い鼓動。首のあたりがピクピク動く。そんな状況が続く。
そのまま眠るように事切れた。瞳孔が散大し心音もなくなった。が、まだ硬直せず体温も残っていたため、死んだと思えない。
箱に移し、電話で明日、火葬の予約。外でサクラや水仙の花を採ってくる。最後まで大好きだった雪解け水を汲んで供える。口のまわりをその水で拭く。ブラシで毛をきれいにする。

この後、隣村に花を買いに行った。キクなどの仏花は好みでないのでカスミソウを買った。
妻およびアイを可愛がってくれていた友人に連絡し、21時から3人でお通夜。山下達郎の話で盛り上がる。



翌日、山中の火葬場へ。
以前にチャーリーもここで骨となった。



堂々たる体躯と大らかな心、愛嬌溢れるアイちゃんともお別れだ。
最後の最後まで、自然の星を見せたり雪解け水を飲ませてやれて良かった。