小中学校時代の町に足を運んでみたり、30年も音信不通だった同級生たちと会ったりするのは確かに楽しいのだが、危うい側面もある。

 最初は「ひさしぶり!元気だった?」みたな感じで旧交あったまっていいんだが、やがてそれらの記憶から、当時の自分の過ちや自意識過剰だった感性などが芋づる式に思い出され、頭を抱えてしまう。記憶の底に格納され、このようなキッカケが無ければおそらく死ぬまで再生されなかったはずの自己嫌悪が腐臭を伴って立ち上る。

 人をいじめた。人の尻馬に乗って。それは自発的に人をいじめるよりも唾棄すべき行為だった。いじめた責任を他者に転嫁して自分は傍観者の立場に安住していたのだから。

 …厄介なのは、それが時と場所を選ばず念頭に上ってしまうことだ。

 車を運転しているとき、プールで泳いでいるとき、草刈りしているとき。

どれも、作業を始めれば無心になる行為なのだが、そのような「無心」と思しき時には、過去の記憶がランダムに再生される。考えていないのなら、昔の心のひっかかりについて考えてみようじゃないか?ほらここに、いくつか用意したよ。と。

 そしてその断片的な記憶の中でも、今の自分にとって受け入れがたい恥辱な事柄ばかりが、暗い舞台でスポットライトを受けた演者のように浮かび上がる。

 誰しも無謬ではないのだから、だから自分の誤謬も赦されて欲しいと願う、その浅ましさに、、、、