保存食品開発物語(文春文庫)を買う。
内容も、また翻訳の語り口も非常によい。

 読み終わったら、積丹の西村さんに発送決定。

保存食品開発物語 (文春文庫)

保存食品開発物語 (文春文庫)

 せっかくなので、今までのところ面白かった部分を抜粋。

「豆」の章から
 保存が容易なため、豆は何千年ものあいだ人類の食生活のなかで中心的な位置を占めてきた。
(中略)アッシリアから出土したおよそ四〇〇〇年前の買い物リストには、レンズ豆や
エンドウ豆の料理の材料が書かれていた。ミケーネ文明時代のテーベの墓からは、およそ
紀元前一四〇〇年に調理された、レンズ豆のペーストが発見されている。古代ギリシャ人は
豆の神様を祭り、アポロ神に捧げる「豆の祭礼」を開いて熱い豆スープを飲んだ。

「熱い豆スープ」で火傷しなかったか心配です。

「酢漬け」の章から
 日本人は大の漬け物好きである。三度の食事すべてに漬け物が付くほどである。
実に多くの種類の漬け物がある。日本にはいろいろな種類の酢があるが、それらはすべて
米を発酵させたものである。日本の「ピクルス」の多くは厳密にいえば保存食ではないが、
ダイコンやキュウリのぬか漬けや梅干しなどがさかんに作られている。一九七八年に大阪の
辻学園日本調理師専門学校で「何とも奇妙で夢のような二週間」を過ごした
M・F・K・フィッシャーによれば、梅干しの酸っぱさは「地獄の憤怒のごとし」だとの
ことである。

そんなに酸っぱかったのかな?

「発酵」の章から
 日本にも多種多様な発酵食品がある。現在でも日本料理に日常的に使われている鰹節は、
世界でも有数のユニークな魚肉加工食品といえるだろう。これはカツオをさまざまなプロセス
によって加工したもので、見た目はカビの生えた木ぎれに似ている。これをかんなのような
道具で削って使う。(中略)
…それから、残った水分を除去するための、「カビ付け」と呼ばれる工程が始まる。
アスペルギルス属のカビを充満させた箱にカツオを入れ、二週間放置する。(中略)
このカビ付けと天日干しを六週間以上繰り返すと、鰹節はよく乾燥した木片のようになる。
鰹節の善し悪しは、鰹節同士を打ち合わせた音で分かる。高い音がするものほど上等である。
上質な鰹節は永久に保存できる。現在は便利な削り節のパックが主流になっているが、
リチャード・ホスキング教授によれば、削りたての鰹節とは香りが比べものにならないという。

ホスキング教授って、どちら様だろう。

「船上の食事」の章から
 初めて船に乗り組んだ日のことは、海軍軍人なら誰でも…むりやり海軍に「押し込まれた」
にせよ、志願して入ったにせよ…生涯忘れられないものである。
 まだ子どものとき家族によって海軍に入隊させられ、艦長の従者になったフレデリック
チェイミアにも、それは鮮烈な印象を残した。


 出航を目前に控えた船のなかでは、誰もが、持ち上げたり、引っ張ったり、吊り上げたり、
積み込んだり、油を差したり、モップをかけたり、帆を巻き上げたりと大忙しだった。
怯えている新入りに構っている暇はなかった。


 わずか十二歳のフレデリックは、真新しい軍服(朝、家を出るとき、家族も使用人もその
りりしさに目を見張ったものだった)に身を包み、三六門の大砲を備えたフリゲート
「サルセット」の甲板に緊張して立っていた。(中略)


 初めて船というものに乗ったフレデリックは、主甲板の喧噪と悪臭にショックを受けていた。
一八三三年に出版された回想録『船乗りの生活』のなかで彼はこう振り返っている。
 「想像とは大違いだった。私は、窓の代わりに大砲の付いたエレガントな家のようなもの
を想像していた。規律正しい人々の集団を想像していた」
 しかし、実際に目にしたものといえば、裸足で上着も着ないで、塩漬けの豚肉や牛肉や魚の
入った樽を船倉へ転がしていく「イギリスの水兵たち」だった。塩漬け肉の樽の次に、
ビールとラム酒の樽、桶に入ったバター、巨大なチーズ、小麦粉やオートミール、乾燥豆の
入った袋などが続いた。大量の堅パンも船倉に運び入れられた。石炭や薪も運び込まれた。
上を下への大騒ぎだった。

 
 「ビールの入ったコップを持った汚らしい女たちがうようよしていた。あんな女たちが水兵の
愛情の対象なのだった。汽笛が金切り声をあげ、水夫長とその助手の怒鳴り声が雷のように
とどろいていた。甲板は不潔で、湿ってぬるぬるしていた。耐え難い悪臭が漂っていた。
何もかもがぞっとする光景だった」


 風に帆を脹らませ、フランスとの決戦の場に急行する、ネルソン提督率いる偉大な艦隊の
栄光…フレデリック少年が抱いていた、颯爽とした海軍のイメージはもろくも砕け散ってしまった。

「私は初めて、ハンカチをポケットから取り出し、顔を覆って子どものように(実際子どもだった
のだが)泣いた」

(実際子どもだったのだが)という一言が効いてますな。