昼前に横浜駅前のレンタカー店を出た我々は、

国道16号経由で中央道に入り、長坂ICを経て野辺山高原に至った。
10年以上前、高根町武川村には何度も出張していたので、このあたりにはなんとなく土地勘がある。

とか言いつつ小海線の鉄道最高地点を過ぎ、国立天文台の45m電波望遠鏡を右手に見つつ宿を目指す・・・のだが、いつの間にか野辺山駅付近を通過してしまった。引き返して駅前の道に入り、目的地の「野辺山荘」に到着した。

  

受付を済ませて部屋に入り、そののち館内を拝見してまわる。

ここは囲炉裏のあるロビー。ネコが2匹います。

↓「モン」嬢

「ウル」

  

全体的に落ち着いた雰囲気。こうした装飾は一歩間違えると「やたら民芸品が並んだ居酒屋」みたいになってしまうんだが、ここはそうではない。下品な一枚板の衝立もないし、ありがちな「相田みつを」の日めくりカレンダーもない。要するに非常にセンスが優れてる。(←なんか偉そうだな私)

ロビーから伸びる廊下。

お風呂入口。喜んでいます。

館内の要所要所にドライフラワーが飾ってあるけど、どれも新鮮そう(というのも変なんだが)だ。よく、「何年前に置いたんだこれ?」と言いたくなるような、ホコリやクモの巣がかぶったドライフラワーを宿や飲食店で見かけるんだけど、この宿にはそうした粗雑な姿勢は一切ない。

  

さて、一旦宿を出て野辺山駅の周辺を見て回った我々は、その後風呂に入ったり卓球をしたりして夕食時間を待っていたのだが、この時点で空腹のあまり腹が鳴っていた。

そして夕食。一階の食堂で食べるんだが、テーブルに並んだ料理を見て、妻も私も衝撃を受けていた。どれも恐ろしく美味しそうなのだ。
ニジマスを揚げた料理は、冷めないよう器の下に保温器が仕込んである。これにポン酢のようなタレを付けて食べるのだが、先般の信濃大町旅行で出てきたニジマスは一体なんだったんだ!と大声で叫びたくなるほどうまい。

天ぷらも通り一遍のものではなく、「エゴマかき揚げ」が入っていた。おそらくエゴマは高冷地の野辺山で昔から食べられてきたものなんだろう。プチプチした食感が面白い。そして馬刺しや漬物、その他いろいろな料理の全てがうまいのだ。(もう、うまさを表現する単語が尽きてきた)

着席後にも、厨房から料理が運ばれてくる。地鶏をマリネにしたものやソバ等々、「温かいものは温かく、冷たいものは冷たく」という姿勢が貫かれている。

更に、最後の方で出てきた「ナスの田楽」で、我々はこの宿の配慮の徹底ぶりに腰を抜かしそうになった。
他のお客さんには同じタイミングでグラタンのような料理が出されていたのだが、事前に妻が牛乳アレルギーだということを伝えてあったので、こうして別の料理を出してくれたんだ。

で、普通「ナスの田楽」というとタテ半分に切ったナスの切断面に味噌を塗って焼いたものなんだが、ここでは半分に切った上で、更に中の身を小さなボール状にくり抜いて、その上から味噌を塗って焼いてある。文章だと分かりにくいので、以下にテキトーな図を挿入。

↓通常のナス田楽模式図

↓この宿のナス田楽模式図

このようにしてあることで、スプーンが無くても箸で容易につまんで食べられるのだ。上に乗っている味噌も自家製とのことで、これがご飯にとてもよく合う。このナス田楽だけでドンブリ飯が食べられる!

とまあ万事この調子で、この宿の料理にはすべて「合理的な配慮」がなされている。見た目ももちろんキレイなんだけど、それが見た目だけじゃなくてきちんと意味を持って機能している。つまり、自己満足的なキレイさではなく、食べる人のことを考え抜いて料理が作られている、ということなんだろう。


夕食後はロビー脇の「セルフバー」に入る。バーテンさんは居ないけど、冷蔵庫にある色々な酒を自主的に取り出して、横の貯金箱みたいな容器に自主的に代金を入れ、自主的に呑むという分かりやすいシステムだ。
カウンターの中は基本的に無人なので、「バーテンさんと何か話さなくては」と気を揉むこともなく、たいへん気楽。

  

  

  


なんだかウイスキーが飲みたくなってきたので、宿の方に「えーとあの、ウイスキーなんか飲めますか?」と聞くと、「お持ちします」とのお返事。そして出てきたウイスキーを飲んだところ・・・

これはどうも「山崎12年」のようだ。いや自分の舌に自信なんて全くないから、間違ってるかも知れないんだけど、なんか以前に飲んだ「山崎12年」みたいな気がしたのだ。

・・・ただ単に「ウイスキー」とお願いしただけで、こんなうまいウイスキーを当然のように出してくれる。しかも一切の能書き無しで。もう、(良い意味で)何が何だか分かりません。(※ちなみにウイスキーは一杯500円であった。値段も非常に良心的)


そんなこんなで、施設、動物、料理、お酒、そして宿の方の抑制の効いた対応にすっかり満たされた我々は、信濃大町ではありえなかったような幸福な気分のまま、床についたのでした。