タラノメ

タラノメ採取の際は全ての新芽をとってしまうとその木が枯れるので、いくつか残す。しばらくして見に行くと立派に生長しているので「残して良かったな」と思う。山菜採りをしていると成果を求めて過剰採取しがちだが、そこを堪えて持続的に利用したい。

 

昨年そのような配慮をせずに採取してしまった木が何本かあり、それをこの春に再訪してみると、やはり枯死していたので大いに反省した。「自分が残しても誰かが採取してしまうだろうから、今採っておこう」という誘惑に耐えないと。


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1990年代初期の巣鴨~西巣鴨

1984年から日本在住のアメリカ人Lyle Saxonさんによるビデオ。

自分にとってなじみ深い巣鴨~西巣鴨界隈の様子が断片的に映っている。

映像を見ると自分が小中学生だった1980年代の姿をこの頃はまだとどめている。

91年は平成3年くらいかと思うが、まだまだ昭和の雰囲気が濃い。

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小学校への通学路にあった豆腐屋・酒屋・和菓子屋も今では営業していない。

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西巣鴨に居たのは17歳までだから、今やそれ以降の人生の方が長い。

それでも、初期の人格形成が行われた西巣鴨での期間はとても長大に感じる。

 

西巣鴨界隈には「藪」の印象が付きまとう。家の庭にあった藪、幼稚園の隅にあった三角形の水槽と周囲の藪、染井墓地の藪など。管理された緑地ではなく、なんとなく放置された感じの小森林がそこかしこにあって、それが遊び場だったと思う。

小学校・中学校

12月2日。さいたま市の父母宅を訪れた後、西巣鴨界隈を歩いた。荒川線庚申塚駅で下車し、旧中山道を西に進み、明治通り国道17号の交差点へ。

もう亡くなった友人の家族が営むお店に挨拶し、昔住んでいた家のあった場所をウロウロする。中学校は家から徒歩3分程度で、今は廃校となっている。廃校後は演劇など芸術関係のアトリエとして利用されていたが、近隣中学校の建て替えに伴い、一瞬だけ学校として使われ、そしてまた静かな廃校となった。

町の街区はほぼ変わっておらず、幅だけが昔より狭く感じられる。みどり公園の樹木は相応に生長しているものもあれば、すでに伐採された切り株もある。今はベンチや設備の改修中らしく、中には入れない。

中学校から給食室の横を通って豆腐屋に至る、墓地沿いの細道を行く。ここは今も昭和だ。

豆腐屋には「病人が寝ているので御用の方は隣のクリーニング店へ声をかけてください」との張り紙が。クリーニング店の反対隣りの酒屋は閉店して久しい。その隣の和菓子店も。

ここから小学校方面へ歩を進める。お寺の並ぶ静かな通りで、しばらく行くと都電の踏切を過ぎ、すぐに信号を渡って朝日通りに入る。この先の豊島区立朝日小学校は現在も稼働中なので、スクールゾーンの緑色の路面標示がある。

小学校の手前には朝日幼稚園があった。お寺に併設された幼稚園で、曹洞宗なので園児も座禅を組むのだ。私は落ち着きのない子供だったのでよく警策で打たれたと思う

もう幼稚園は無いが、参道の落ち葉を掃除する女性が居た。一瞬、通り過ぎてそのまま巣鴨方面に行こうと思ったが、なにか経過を聞けるかもしれないと挨拶をした。

昔あの辺りが建物でプールもありましたね。灌仏会には仏像に柄杓で水をかけたり。たしかここにブランコもあったような。などなど、話している内にその女性は自分と同級のKさんだと分かった。お寺の娘さんが同級だったことは覚えていたので、ひょっとしてそうなのかもとは薄々思っていたが、果たしてそうだった。

私は高校2年の終わり頃に西巣鴨から小平市に引っ越して、それ以降は(それ以前からもそうだったが)、小中学校の同級生とは全く会っていなかったので、彼女と会うのも33年ぶりということになる。私の容貌はすっかり変わり果てているのだが、それでも昔の面影はあるらしい。

今も地元にいる同級生たちの近況や、こちらの近況などをお話し、LINE上にある同級生グループに加入する。今このグループには四十数名が参加しているそうで、インターネットというかSNSの威力を感じる。今日までの33年間、彼らは私の世界に居なかったし、彼らにとっても私は居なかったのだが、一瞬で関係が復活した。

せっかくだから何人かで集まって一杯やらない?という流れになり、明後日の夜に予定を入れ、お寺を離れた。

 

巣鴨駅近くの近代建築アパートを見る。この建物を知ったのは2020年2月のことなので、わずか1年10か月ぶりでの再訪となる。つまりここは今現在の私の興味ある場所であり、小中学校時代の自分とは何の関係もない。昔の私は近くの東京スイミングセンターに通っていたが、その時には近代建築に興味など無かった。古い記憶に関連した場所に、今の自分の意識があることに不思議な感覚をおぼえた。

 

二日後の12月4日、疲労困憊していた。前日に(よせばいいのに)2時間ほどプールで泳いだ上に都内各所を歩き回り、夜には横浜の居酒屋を訪れていたのだ。

父母兄と小石川植物園で散策した後、一旦大塚の宿に戻って体制を整える。1時間ほど休息した上で銭湯に行き、髭を剃ったり水風呂に入ったりして、同級生たちとの再会に備えた訳だ。

 

大塚から都電で西ヶ原四丁目まで行き、東京外国語大学のあった辺りの住宅街を抜け、商店街へ。かつての八幡通り商店街を思わせる、狭くて賑やかな通りだ。その一角にあるお店の前に着く。ここは同級生のFさんが旦那さんと営んでいる居酒屋なのだ。焼き鳥の持ち帰りもやっており、通りに面したカウンターの窓越しに、開店の支度をする女性が見えた。手ぬぐいを頭に巻き、白い割烹着で忙しそうに立ち働いている。この時、自分は胸が締め付けられるような感情を覚えて動揺した。普通に人が働いているだけなのに、昔の同級生がここでこうして、夫婦で頑張ってお店をやっているのだ、と思うとなぜか泣きたいような気持になったのだ。

 

17時の開店少し前に入店する。Fさんは私の顔が分かるようで、諏訪君久しぶりと言う。私は久しぶりと返しつつ、彼女の昔の顔を思い出そうと努めた。たしか今とは異なり眼鏡をかけていたし、今のように細身ではなかった。きちんとは思い出せていないが、これから話せば記憶は蘇る筈だ。今日はお寺のKさんを筆頭に、5~6人が入れ替わり立ち代わり来るらしい。

 

私が入店する直前に、背の高い女性がお店に入っていた。この人は一瞬で誰なのか分かった。兄の同級生Yさんの妹さんだ。小学生時代と変わらない面影がある。すぐさまお寺のKさんも到着する。ビールで乾杯して「小学校の時、どの女子が好きだった?」との質問。そんなこと聞いてどうするんだ?とも思ったが、どうやら定番の質問のよう。ある女性のことを話したが、その方はこの結社には参加していないそうだ。そういう、小中学校時代の人間関係とは一切かかわりを持ちたくない人もいるとのことだ。

 

家の近くの和菓子店の息子O、陸上競技に打ち込んでいたE、そしてS、あまり外観に変化の無いIなど男子同級生も三々五々現れ、私はそのたびに、中学校を出てからの経歴を説明した。

もう亡くなってしまった同級生も数人いると知った。そうした人たちとは中学卒業後、二度と会うことは無かったのだ。

 

途中、当時クラスでいわゆる「いじめ」の対象だった同級生のことを話した。

自分は傍観者だったのか、積極的に加担したのかあまり覚えてはいないが、確かにそうした事象があった。そんな話をしていると、思わず自分の口から嗚咽が漏れた。すまないことをしたと謝りたいが、それもこちらの勝手な都合だ。過去自分がした事は取り消しも上書きもできない。

 

24時近くに会は終わった。もう都電も無いので、歩いて大塚に戻った。たくさん飲んだので経路の記憶があやふやだが、確かにホテルに戻り、皆に無事についたと報告して眠った。

手島圭三郎の絵本

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先日HNK教育の「日曜美術館」で手島圭三郎の木版画絵本が取り上げられていた。高齢となった作者の、最後の引退作品の制作過程を追いつつ、過去の作品の紹介や画家の生い立ちを折りまぜる構成。

すっかり感心して、村の図書館でいくつかの作品を借りてきた。

 

まず力強い木版画のタッチが素晴らしい。特に、冬の夜の森や湖の描写が、その場の凍った空気まで感じさせる臨場感。さらにその舞台で躍動する鳥類・哺乳類・魚類などの野生動物の姿が、まさにそれをよく観察してきた人ならではの説得力を持って描かれている。

絵本で自然、特に野生動物を描く場合、たいていは擬人化がなされる。動物の行動を理解するためには、人間の行動や感情と照らし合わせる作業が必要となるからだ。しかしこの擬人化も行き過ぎると、その動物の姿形だけを利用し、人間替わりの役者として動かすことになる。ピーターラビットシリーズなどはそれに当たる(野生動物の生態を描く意図の作品ではないのでどうでもいいことなのだが)。

一方、手島作品では擬人化は行っているものの、それは必要最低限に抑制されている。親子の愛情や野生動物の孤独感など「感情」に関して人間的な表現を行うが、画そのものはあくまでも野生の姿を描いている。そして複数の作品(全部読んだ訳じゃないのだが)で、「死」を大きな要素として取り扱う。

オオハクチョウの子供の死、シマフクロウのオスの死、キタキツネの死、こうした主人公クラスの動物達の死に加えて、彼らに捕食される食物連鎖下位の小動物や、死んだ動物を食べるカラス等の腐肉食動物も頻繁に表れる。

※書き中