蒔かず刈らず紡ぎもせず
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「神林長平とビタニャ」 - ネコメンタリー 猫も、杓子(しゃくし)も。 - NHK
神林長平の飼い猫ビタニャが無くなったとのこと。
この、神林長平と奥様、そしてビタニャとの生活の一部を取り上げた番組は大変優れたもので、私が神林ファンであることを差し引いても出色の出来栄えだった。
私たち夫婦の猫に対する捉え方(ヒトは猫のパパ/ママではない。猫は子供ではない。そういう見方をしない)と相通ずるものがあり、それを神林ならではのしつこく、でも悪気の無い思考の末に詳述する、その言葉の数々にいちいち我が意を得た感があった。
「寂しがり屋の猫だったけど、淋しい猫では決してなかった」、本当に至言。
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一人で「たっこ八」。
これまでは行く度にその旨を同級生(かつ、お店のおかみ)ユッコに連絡し何人かで集まったりしたが、このご時世なら一人が気楽だ。
多分何回も同じ質問をした筈なんだが、いつも答えをおぼえていない事項があり、それについて素面のうちに聞いた。
それは小学校中学校で同級だったKRMDさんがもうこの世にいないことで、うっすらとそうであることはこれまでの30年ぶりの皆との会話の中でなんとなく察していたが、ハッキリと「彼女は亡くなった」と断定されると、中学卒業後これまで会うこともなく、今後も会えないままであることに大変な喪失感をおぼえた。
彼女が好きだったとかそういう話ではないのだか、なぜか印象に残っていたのだ。多分、明るく元気な人だったのだと思う。
詳しくは聞かなかったが、ビーガンになって身体を壊したとの由。なにもかも過ぎたるは…。
ウメが去る
6/28(火)
東京より妻の母来る。我々が不在の間、猫の世話をお願いした。糖尿病のウメちゃんは朝晩2回のインシュリン注射が必要なため、そのやり方を伝える。
6/29(水)
午前中いっぱいかけて、昨日に続いて猫の世話のあれこれを伝える。
午後、中央道経由で都内へ。妻の母の居宅に泊まる。
6/30(木)
朝から妻の父の暮らしぶりを確認するため、包括支援センターの方と行く。
掃除も炊事もしっかりやっておられた。ただ先々のことを考え任意後見制度の
話しをする。
昼頃、ウメの様子がおかしいと連絡があり、妻と対策を考える。
点滴が必要ならば?明日の早朝にここを発ち、動物病院で点滴セットをもらう
プランはどうか。いや、隣村の獣医師に往診してもらう方がよいか。
経過報告を待ちつつ対応策を考える。
豊島区に移動し、夜は小中学校の同級会に行く。
7/1(金)
朝の時点で容体は良くないという。妻は上野発の新幹線で先に帰る。
帰還までの間に隣村の獣医師が往診してくれる。
私はさいたま市の実家に行き、夜に帰る。
途中妻からの報告。獣医師によれば内臓の機能が低下しており、如何とも
しがたいと。点滴と栄養剤を施してくれた由。
22時帰宅。ウメは看取り段階に入ったと理解する
7/2(土)
妻の母、東京に帰る。まさかこんな決定的な時期にお世話を願うことになるとは
予想もしていなかった。遠隔での指示によく対応していただいた。感謝。
ウメは腹ばいに寝そべって、風呂場の床や流しの上などに置いた、水を満たした
洗面器やボールに顎を乗せるようにしている。でも水を飲むわけではない。
そういえば数年前に亡くなった大雄猫アイも、死線期に雪解け水の流れる小水路に
何度も行きたがっていた。
7/3(日)
朝から自宅で仕事。ウメは風呂場と台所、テレビの下の水飲み場の三か所を
たまに移動しつつ、浅い呼吸をしている。撫でれば体温が低い。毛並みにも
疲労感が出ている。
それでもよろよろとトイレに向かう。力むが少しの丸い大便が出るだけだ。
18:30 ウメはまだ生きている。
20:50 妻の帰りを待ったかのようにウメは死んだ。
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小中学校時代の町に足を運んでみたり、30年も音信不通だった同級生たちと会ったりするのは確かに楽しいのだが、危うい側面もある。
最初は「ひさしぶり!元気だった?」みたな感じで旧交あったまっていいんだが、やがてそれらの記憶から、当時の自分の過ちや自意識過剰だった感性などが芋づる式に思い出され、頭を抱えてしまう。記憶の底に格納され、このようなキッカケが無ければおそらく死ぬまで再生されなかったはずの自己嫌悪が腐臭を伴って立ち上る。
人をいじめた。人の尻馬に乗って。それは自発的に人をいじめるよりも唾棄すべき行為だった。いじめた責任を他者に転嫁して自分は傍観者の立場に安住していたのだから。
…厄介なのは、それが時と場所を選ばず念頭に上ってしまうことだ。
車を運転しているとき、プールで泳いでいるとき、草刈りしているとき。
どれも、作業を始めれば無心になる行為なのだが、そのような「無心」と思しき時には、過去の記憶がランダムに再生される。考えていないのなら、昔の心のひっかかりについて考えてみようじゃないか?ほらここに、いくつか用意したよ。と。
そしてその断片的な記憶の中でも、今の自分にとって受け入れがたい恥辱な事柄ばかりが、暗い舞台でスポットライトを受けた演者のように浮かび上がる。
誰しも無謬ではないのだから、だから自分の誤謬も赦されて欲しいと願う、その浅ましさに、、、、